ボケる前にリハビリを
こんな時代、わざわざ文章で語りたいような事がそう無い。 20代の頃にはもんもんと書いたもので、書く労力と精神的充足とのコストパフォーマンスの悪さは当時から痛感していたが、それを経た今となっては尚更だ。思考を書き残すようなことをすっかり避けるようになったなと思う。 でもこれはあれだ。文章を書かないようになると、簡単にボケるんじゃないか。 多分ボケてきている。マズいぞ。 思春期に20代に散々もがいた様々な理由、それらを克服した記憶と感覚だけが残って、もがいていた理由そのものはだんだん忘れていく。苦しんだことは覚えていても、その苦しさは忘れているのか。それってなんだろう、「悩んで努力した末に苦しみから逃れた」と言っていいようなことなのだろうか。 これだとそのうちに、自分の判断基準、価値基準の根拠を自分自身が忘れてしまい、いずれ何にも対処できなくなって、その性根ごと路頭にさまようのだろう。思考をまとめるというのは自分のありようを確認するということで、それはつまり自分と他人の境をしっかり整理するということだ。この作業をサボると自他の境界線が曖昧になって、嫌


左足だけ重い
地味に痺れるよ。
日々
料理をするのはまあ楽しいし、散歩やサイクリングも大体好きな時に出来る。 (その気になれるかどうかは別として) でもなんというか、創作する精神的な環境を安定させるためにQOLを高めようと考えていたはずが、QOLを高めるための労力が、創作のための気力を奪っているような、そんな気も最近している。 10代20代の頃のように昼夜無く苦しむべきなのかもしれないけど、そんなのを10年20年も経て、いい加減そんな辛い思いから脱却したいという気になってしまうんだなあ。それは多分やっぱり良くないんだろう。