

ココナッツミルクの油分を加熱分離
タイカレーを作ろうとした時に、ココナッツミルクについて調べてみると >まず始めにココナッツミルクを強火で加熱して、油分を分離させる。 などとWikipediaに書いてある。 他の調理経験などを検索してみても、確かにタイカレーに使う際には油分を分離させるのが常道らしい。 でもココナッツミルクを強火で熱してみるとすごいことになるんです。 缶の種類を3、4変えて試してみたけど同じで、やや泡立ったかと思うと、唐突にボスンボスンと柱が噴き始め、「これはさすがに違うでしょ」と焦って火を弱めることになる。 だけど弱火にしたところで、じわじわと水分が飛んでいくだけで、特段の変化がなさそうな雰囲気だ。 そんなわけで諦めて、いつもはカレーペーストにココナッツミルクを投入する形でなんとなく作っていたんだけども、あらためてココナッツミルクに向き合おうと思い、調べ直してみた。 そうすると「弱火で気長に」と書いてあるじゃありませんか。弱火でいいのかな? やってみよう。 やってみなくちゃわからない。(細野晴臣さんの声で) ●15分経過 こんな調子で泡が立っては水分が飛んでいく
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大体、人は自由に口を開けば八割がた醜いことしか言えないのである。 おおよそのことは独善か言い訳か、精神的な物乞いに属する。用もないのに口を開けばその日の終わりには惨めな気分になれる。しかしこれはほとんど逃れられない仕組みであるから、いっそ盛大に痴態を晒しあい赦しあおうと覚悟した者共の催事、つまり酒の場が自分は好きだ。 そのあまりに暖かくみっともないさまに、向かう先の無い勇気を与えられ、そうして残りの人生が数週間は楽になるのである。ただし翌日は犠牲にする。 いずれにせよ、あまねく人の出力において大半を占めている醜さから、目を背けたい。できるだけ意識を逸らしておきたい。自分の場合はそれが、創作表現に向かうモチベーションの根底にあるのかもしれない。 そして目の背け方にも人としての様々な姿勢が現れるもので、まさしくそれは音使いの端々に現れることだろう。共鳴してくれる人もいるだろうかと、楽曲の形にして問うのである。 あ、宣伝です(精神的な物乞い)。 http://www.studio-campanella.com/campanella